kildare1966の個人的な感想徒然

いろいろと自分が感じた感想についてアップしていきます。

主人公とヒロイン シン・ウルトラマンの感想について

庵野作品にはヒロインが登場しますが、単に恋愛対象ではありません。皆、個を持つ登場人物です。だから、主人公に意見も言いますし、ぶつかることもあります。ナディアもそうですし、ミサトは作戦遂行重視で過酷な命令をシンジに伝えます。アスカは自己のアイデンティティーの維持のため、レイはゲンドウの命令遂行のため、自分の気持ちを主人公にぶつけることから始まります。それは主人公がむしろ嫌悪を抱きかねない存在です。ヒロインも主人公とどう接していくかを模索していきます。そして彼女らはやがて主人公を理解し、ともに戦うように心境が変わっていきます。シンジも彼女らの信頼に答えるように成長しました。この変化は視聴者が主人公やヒロインに抱く心境の変化に同調しているように思えます。シン・エヴァンゲリオンでの最後のマリのシーンも決してシンジの恋愛対象として現れたわけではなく、過酷な戦いを経て築かれた「戦友」として描かれていると思います。彼女らは自分を意思をきちんと持った存在であり、その変化、成長を見たうえで、だからこそファンが出来るのだと思います。こういう形で主人公もヒロインも作品のなかで成長していきます。「この登場人物はこういう人」と視聴当初に抱いた印象をいい意味で裏切っていく。庵野さんがキャラクターを単なるアイコンではなく人として描く脚本のお陰とも言えますので、見返すことで浅見と神永との関係の変化も見えてくるのではないでしょうか?

よく「庵野作品のヒロインは庵野さんの投影だ。」と言われることがあります。マリに至っては庵野モヨコさんの投影だというトンデモ意見がありますが、庵野さん自身の投影ではありません。庵野さんが感じている「他人」というものへの感じ方の投影だと思います。庵野さんは映像完成のためには他人に妥協せずに求めるものを求めます。相手がそれをどう取るかよりも、自分に不信感を持つかというよりも、自分が求めるものの追求を優先しがちに見えます。それが庵野さんの他人との接し方、他人に対する自分というものの見せ方のように思えますし、その過程で得られた信頼関係にて庵野さんは他人を理解していくのではないでしょうか? だからこそヒロインの個がきちんと描けるのだと思います。ただ主人公に盲目的に迎合するヒロインではこのように視聴者が魅力は感じないと思います。主人公ありきのヒロインではなくヒロイン個人に対するファンが多いのも頷けます。

シン・ウルトラマンでは朝見はバディとなった神永の自己中心的な行動に不満を見せます。しかし神永=ウルトラマンでありことを知ったなかで、その彼を理解していきます。そこからは浅見は神永のことを考えて行動するようになるます。噂では浅見が神永が最後の決戦の前にキスをするシーンがあったとされていますが、作品には登場しません。それは良かったと思います。浅見が神永に対する愛情表現は信頼です。決戦に送り出し、無事に帰還することを願い、戻ってきた神永を禍特対の仲間とともに笑顔で受け入れます。陳腐な愛情表現ではなく、理解という行動で表現する。ヒロインが主人公に対して恋愛感情を抱くのはキツイ言い方をすればヒロインのエゴをぶつけているとも言えます。庵野さんは他人とは相互理解という愛情を経て受け入れることをまず大前提としていて、その後にヒロインと主人公が結ばれるかは、視聴者が鑑賞した後の視聴者の心のなかでの発展に委ねていると言えます。

2時間という時間の制約のなかでは、浅見と神永との関係の築きは初対面、作戦同行を経て、神永の個人行動への不満、それを持つなかでの神永救出の決行とかなり盛り沢山です。そして浅見が神永をウルトラマンであることを知り、理解するなかで「浅見の神永への信頼」という形に昇華するのが最初に見るとやや唐突に見えがちですが、シン・ゴジラを何度も見返していくなかで、矢口とカヨコとが信頼関係を築いていく姿は今見るとよく表現されていると思います。ですからシン・ウルトラマンも何度も見返すことで浅見と信頼関係の築きが見えてきて心地よく思えるのではないでしょうか?

庵野さんは何しろ妥協を許さない方だと思いますし、だからこそ作品が詰め込み過ぎだったり、説明不足に思いがちですが、見返してみると色々と伏線が見えてくるのではないでしょうか。

浅見が自分を鼓舞するために自分の尻を叩くシーンが何度もあり、「表現が古い」「セクハラだ」「親父臭い」と巷では言われていますが、彼女は船縁や神永の尻も叩きます。これは浅見が他人を受け入れた際の愛情表現ではないかと思います。これも後で見返してみると浅見が信頼を深めていく過程が段階的に表現されているのではと言えます。そのためにも何度も見返すでしょう。何年も待ったなかでのシン・エヴァンゲリオン劇場版Qは一見すると何か不満に思えて、シンジか落胆している姿が視聴者にはキツイ印象も感じます。ですが、それを描いたからこそのシン・エヴァンゲリオン劇場版に繋がったのではないか。もう一回、場面の進行だけで振り回されるのではなく、きちんと場面を吟味しながら鑑賞したいですね。