kildare1966の個人的な感想徒然

いろいろと自分が感じた感想についてアップしていきます。

有事が起きると煽るコメディアン

中国がペロシ・ショックを受けて日本の排他的経済水域にミサイルを着弾させた。台湾有事は日本有事。北に目を向ければ北海道はロシアの標的だ。

やりすぎ都市伝説でコメディアンが大騒ぎをしている。頭の上をミサイルが飛び交うぞ。ただ、今回のウクライナ侵攻を見ても分かるように、戦争において侵略をした地域において安全地帯を設置することがいかに難しいことであるかを露呈した。

ミサイルや戦車では敵国を侵略できず、最後は兵士が銃を持ってしらみつぶしにゲリラ戦をしかけてくる敵国兵士を減らす。これしか戦争に決着を付ける方法がないのが実態である。

そのうえで、敵国の中に陣地を構えていかなければ侵攻できる地域が限られてしまうことが良く分かった。兵士とは食事をするし、休息も取るし、睡眠も取る。これが出来るのが所謂「基地」であり、この「基地」には食事を運んだり、掃除、衣服の交換などをする民間人の立ち入りが可能であることが大前提である。

この「陣地」というものが敵国内に「陣取る」ことがいかに難しいということとなる。ある程度、敵国に攻め入ったとしても安全地帯まで撤退を繰り返す。要するに戦争とは「人間」がしているものなのだ。これをドローンが代わって行ったとしても到底、敵国に「陣取る」ということはとてもハードルが高い戦績と言える。

そのうえで第二次大戦において日本は敗戦へと追い込まれながら、最終的には二度の核攻撃をもって敗北を受け入れた。それほど敵国に敗北を認めさせることが難しいということ。人的攻撃を主体としてドイツと戦ったソビエトが一番、戦死者が多いというのも頷ける。

日本に対してミサイルが飛んできて「有事だ。有事だ。」と叫ぶコメディアンは、日本に攻め入る敵軍が、一旦撤退するのにどこへ撤退すると考えているのか。日本は周囲を海で囲まれた、所謂、不沈艦と言える。撤退する場所は日本周囲の海上しかない。交代する兵士、使用する兵器、休憩・就寝をする場所も全て海上しかないのが現実。日本の領土内に「陣地」を構えれば、そこは格好の「標的」になってしまうのが現実。日本を攻める敵軍を一網打尽に出来てしまうのだ。

だからこそ核による攻撃によって一気に戦争を終わらせようとするか。残念ながら、原子力発電所の事故によって故郷を追われたなかで、未だに戻ることが出来ないという事実がある。核を使えば、そこは略奪した土地にはならない。味方が「陣地」として基地などを設置できる土地にもならない。核とはあまりにもメリットがない攻撃なのだ。

先の大戦で沖縄では多くの人が火炎放射によって被害を受けた。それほど非人道的に戦地を焼き払ってでも取りに行く。21世紀の時代になってもそういう方法でしか「陣地」を奪っていくしか戦争に勝つ方法はない。

台湾有事が2022年11月から2023年1月に起きる危険性がある。そのコメディアンはその情報を知って「ほら、一大事だよ。」と大喜びしている。

もう半年以上の戦いがあるなかで、ロシアの攻撃がウクライナを越えてポーランドハンガリールーマニアなどに飛び火はしていない。ロシアにはそんな余裕はないのだ。

赤の国が台湾を攻め入ったとしてもそれを越えて周辺他国にまで戦争が広まるなどというのはそのコメディアンの妄想に過ぎない。

もう一度言うが、兵士は食事もしたいし、風呂にも入りたい。清潔にしなければ病気も広がる。休憩もしたいし、就寝もしたい。しかもそこには敵は攻め入ってこない。そんな安全地帯を「陣取る」ことは戦争において非常に難しいことなのだ。

境界戦機の失敗 シン・ウルトラマンの感想について

境界戦機、面白くないですよね。結局、SUNRISE BEYONDは自分で会社説明で言っているようにバンダイナムコの言いなりです。

シン・ウルトラマンについて巷では「庵野が描くウルトラマンとしては及第点」とか「樋口監督だからダメ」とか色々と言われています。

新しいウルトラマンを見たいなら、テレビで新しいシリーズが放送されています。今の子供にとってはこれが自分のウルトラマンでしょうね。ただ、テレビでは子供に玩具を買ってもらうことが前提です。それが悪いとは言いません。そういう商法で、映像で回収出来なくても玩具の売上で回収する。そのうえで映像にお金がかけられる面もあります。

そう考えたうえでも、境界戦機、面白くないです。バンダイナムコがプラモデルを売るための映像作品。本当に主人公が何をしたいのか、分かりません。

シン・ウルトラマンでもフィギュアなどの商品もありますが、テレビシリーズのウルトラマンにおける玩具売上とは違うものです。まずはこの玩具売上ありきであるウルトラマンからやっと卒業出来た映画だと思います。仮面ライダーですら主人公が色変したりフォームが変化したり、かなり色んなライダーを買わせようという意図が見えてしまいますよね。

ですから映画館に来てもらって、チケットを買ってもらってその評価がされる。DVD販売での回収までを目的とした日本映画の悪習である製作委員会。確かに「シン・ウルトラマン制作委員会」はあります。ですが、円谷プロ東宝、カラーが共同で制作した作品で、制作委員会は円盤での回収システムのみと言えるでしょう。

その上で言えば、庵野秀明という人が子供の頃からの夢を円谷プロ東宝も巻き込んで実現している。このこと自体が奇跡です。当然、円谷プロも自社のラインナップに残ることを承知したうえで庵野さんが脚本を書くことを認めているわけです。

だから、このシン・ウルトラマン庵野さんが人生をかけて制作した同人誌です。コミケで販売しているものとはレベルが違うと思いますが、同人誌を作成している人との思い入れに近い。本当に自分が撮りたいウルトラマンを映画にしたのだと思います。樋口真嗣の映像には期待出来ない。そんな偉そうなことを言う人がいますが、人生をかけた同人誌を描く画家に庵野さんが樋口さんを選んだわけです。昔からの付き合いだからなど言うことで夢の実現の一翼を託すことはないと思います。

しかも総監修は庵野さんですから、樋口さんが上げてきた映像を切り貼りしたわけです。納得がいかない映像は使わない。面白くない映像は使わない。それはエヴァンゲリオンの制作のなかで何度も見た庵野さんの姿です。

あそこがつまらない。セクハラ臭がする。いろんな意見が上がっていますが、これが庵野さんが見せたかったウルトラマンということです。

矢口蘭堂二世議員ですが映画では詳しくは描かれません。そしてカヨコ・アン・パターソンも二世議員。これを知ると二人の会話がまた違って見えてくるでしょう? カヨコがイケイケなのも親のコネを十分に使う、矢口と同じ政治家タイプだから。だからこそどちらかが優勢ということもなく互いと意見をぶつけ合うわけです。寄せ集めだった巨災対。最初は少し会話もチグハグですが、どんどん仲間を認めていってゴジラ凍結に向けて一緒になって考えていく。竹野内豊さんが演じた赤坂への内通のためにメンバーに入ったと思われる人物も終盤に向けて巨災対の一員として頑張っている。それぞれの省庁の制服は脱がなくても心は一緒です。バラバラの制服・衣装にすら意味を持たせている。

シン・ゴジラは何度も見ることでどんどん面白くなる作品です。泉ちゃんが「金帰火来で助かったよ。」と言います。金曜日に地元に帰って火曜日に戻ってくる。元々は都会に出た者が地元に帰って稲作などの手伝いをしていた風習を意味するものですが、庵野さん、これをさらっと泉ちゃんに言わせて終わりでしょ。

悪いSF映画ではよくアイテムをわざわざ見せて「どう、近未来的でしょ。」というシーンを挟みますよね。見ていてゲンナリします。

それは庵野さんはしないですよね。それを凄いと評しても、財前統合幕僚長のように「礼は要りません。仕事ですから。」と言われそうです!

その着せ替え人形は恋をする

ヤングガンガン」で2018年3号から連載されている漫画です。作者は福田晋一さん。両親を亡くし祖父と暮らしている高校生の男の子、五条新菜は祖父が作る雛人形の美しさに魅せられて雛人形の頭を作る「頭師」を目指して修行をしています。時間があれば面相筆を手にして頭を作ることに没頭する新菜はなかなかクラスメートとは打ち解けない日々を過ごしていました。いつも友人のなかの中心人物となっている喜多川海夢には淡い憧れを感じながらも、全く違う世界に住む海夢と接点があるはずもありません。

こんな出だしですが、あることをきっかけに新菜は海夢がコスプレに憧れていることを知ります。雛人形作りのなかで衣装作りにも長けていた新菜がミシンを上手に使えることを知った海夢はコスプレに憧れていることを告白するとともに新菜にコスプレ衣装の作成を頼みます。ここから二人の関係が始まっていきます。見た目はギャルそのものである海夢ですが、性格は良い娘で、新菜もそんな彼女にやや振り回されながらも、今までの生活では得られなかった色々な体験を海夢とともにしていくといった話になります。

何しろ憧れている一番のキャラクターは50以上という海夢は色々なキャラクターのコスプレの衣装を新菜にお願いしてきます。これが物語を進むきっかけとなっています。元々真面目な性格の新菜はそのキャラクターが登場する漫画やアニメを何度も見返して、キャラクターの性格までも考慮した衣装を作っていきます。またメイクも頭作りで学んだ技量を活かして海夢をよりキャラクターへと同化させていく。この過程が新菜の成長を感じさせるものになります。

二人の関係はどうなるのか。何しろ海夢は新菜のことが大好きなことを自覚しています。「しゅき♥」なんですね(笑)でも単なる恋愛ものではなく、互いに自分の気持ちは打ち明けていません。ただ、変なライバルとかが現れて二人の関係を妨げるといった展開はありません。本当に新菜と海夢がコスプレを完成するなかで協力していくことが関係を深めていき、互いを大事に思う気持ちが募っていくストーリーがとても心地良いです。出来たらこのままライバルは登場させずにいてほしいです。

アニメにもなっていて1シーズンが終了しました。コミックスの5巻までの内容です。コミックスは2022年3月時点で9巻まで発売されています。海夢役の声優さんは直田姫奈さん。ギャルらしい喋り方も表現しながら十二分に海夢の可愛らしさを見せてくれます。Netflixで配信されています。

二人の接点をコスプレにするなかで新菜の実家を雛人形屋さんにしたのがとても良い設定だと思います。まだまだ二人の姿を見ていきたいですね。

SPAWN #1


f:id:kildare1966:20220518103334j:image

SPAWN #1は1992年5月の発売で、Marvel comicsの人気アーティストであったTodd McFarlaneが立ち上げた新進気鋭のimage comicsが出版したのですが、販売ルートがまだ確立していなかったので、既存のMalibe comicsの販売ルートに契約していました。爆発的な販売数を記録しましたね。そのお陰で通常の1Dタイプ以外にも町のニューススタンドで販売されていた1Nタイプも今もかなり入手が可能です。

ここで紹介するのは1997年9月に発売されたものです。デザインも変更されて、今ではよく見かけるBlack &White editionになっています。私が所有しているのはCGC8.5でComic Registryとしては低いものですが、プラスチック製のケースに収納された完全ミント品です。ebayでたまに見かける程のレア品で、現在入手するのには10万円は軽く越える落札金額がつくと思われます。

SPAWN  #1にはロゴのAのところにある骸骨のなかの印刷で黒が抜けているレア品もありますが、こういうプリントミス品まで集めるのはほぼ不可能ですね。最初は1巻からただ集めていただけでしたが、SPAWN のレア品を収集するきっかけになったコミックスです。

SPAWN #329


f:id:kildare1966:20220518095847j:image
f:id:kildare1966:20220518095855j:image
f:id:kildare1966:20220518095903j:image 


今回のSPAWN #329は3冊発売となりました。いつも予約している秋葉原のblister comicsさんでのPreviewsでの事前の予約ではcover A、cover Bだけだったのですが、発売時にcover Cの存在を知りました。池袋のヴァースコミックスさんでも在庫がないみたいですね。最近は25冊を仕入れた店舗が1冊だけ入手出来るインセンティブ品(限定販売)が多く、50冊単位、100冊単位、250冊単位ととてもレアなものがあります。また500冊限定販売などもあり、なかなか入手に苦労していますが、今回のcover Cは通常発売品ですので海外のコミックス店舗では普通に販売しているのですが、Previewsでの事前予約仕入れが基本の日本の店舗では仕入れがされていないようですね。諦めてセカイモンにて購入しました。通常品ですので安価で即決落札できましたが、こういう時にいつも「海外のコミックス店舗と取り引きできれば」と思います。SPAWN #329 cover Bはブランク表紙です。これはここにお気に入りのアーティストにイラストやサインを書き込んでもらうものです。セカイモンでは既にアーティストのイラストが描かれているものがオークションに出品されていますが、やはりサイン会などで列に並んで、その場で描いてもらう喜びがメインだと思いますので、こういう商品は敢えて我慢して落札しないことにしています。

ここのところ、SPAWNは日本でも購入出来る2冊(メインとバリエント)だったのですが、次の#330でもcover Cが出るとのことで、既にセカイモンで予約落札しました。 

こうやって集めても誰かが見てくれるわけではないのですが、cover Cがあると知ってしまうと欲しくなりますね。

主人公とヒロイン シン・ウルトラマンの感想について

庵野作品にはヒロインが登場しますが、単に恋愛対象ではありません。皆、個を持つ登場人物です。だから、主人公に意見も言いますし、ぶつかることもあります。ナディアもそうですし、ミサトは作戦遂行重視で過酷な命令をシンジに伝えます。アスカは自己のアイデンティティーの維持のため、レイはゲンドウの命令遂行のため、自分の気持ちを主人公にぶつけることから始まります。それは主人公がむしろ嫌悪を抱きかねない存在です。ヒロインも主人公とどう接していくかを模索していきます。そして彼女らはやがて主人公を理解し、ともに戦うように心境が変わっていきます。シンジも彼女らの信頼に答えるように成長しました。この変化は視聴者が主人公やヒロインに抱く心境の変化に同調しているように思えます。シン・エヴァンゲリオンでの最後のマリのシーンも決してシンジの恋愛対象として現れたわけではなく、過酷な戦いを経て築かれた「戦友」として描かれていると思います。彼女らは自分を意思をきちんと持った存在であり、その変化、成長を見たうえで、だからこそファンが出来るのだと思います。こういう形で主人公もヒロインも作品のなかで成長していきます。「この登場人物はこういう人」と視聴当初に抱いた印象をいい意味で裏切っていく。庵野さんがキャラクターを単なるアイコンではなく人として描く脚本のお陰とも言えますので、見返すことで浅見と神永との関係の変化も見えてくるのではないでしょうか?

よく「庵野作品のヒロインは庵野さんの投影だ。」と言われることがあります。マリに至っては庵野モヨコさんの投影だというトンデモ意見がありますが、庵野さん自身の投影ではありません。庵野さんが感じている「他人」というものへの感じ方の投影だと思います。庵野さんは映像完成のためには他人に妥協せずに求めるものを求めます。相手がそれをどう取るかよりも、自分に不信感を持つかというよりも、自分が求めるものの追求を優先しがちに見えます。それが庵野さんの他人との接し方、他人に対する自分というものの見せ方のように思えますし、その過程で得られた信頼関係にて庵野さんは他人を理解していくのではないでしょうか? だからこそヒロインの個がきちんと描けるのだと思います。ただ主人公に盲目的に迎合するヒロインではこのように視聴者が魅力は感じないと思います。主人公ありきのヒロインではなくヒロイン個人に対するファンが多いのも頷けます。

シン・ウルトラマンでは朝見はバディとなった神永の自己中心的な行動に不満を見せます。しかし神永=ウルトラマンでありことを知ったなかで、その彼を理解していきます。そこからは浅見は神永のことを考えて行動するようになるます。噂では浅見が神永が最後の決戦の前にキスをするシーンがあったとされていますが、作品には登場しません。それは良かったと思います。浅見が神永に対する愛情表現は信頼です。決戦に送り出し、無事に帰還することを願い、戻ってきた神永を禍特対の仲間とともに笑顔で受け入れます。陳腐な愛情表現ではなく、理解という行動で表現する。ヒロインが主人公に対して恋愛感情を抱くのはキツイ言い方をすればヒロインのエゴをぶつけているとも言えます。庵野さんは他人とは相互理解という愛情を経て受け入れることをまず大前提としていて、その後にヒロインと主人公が結ばれるかは、視聴者が鑑賞した後の視聴者の心のなかでの発展に委ねていると言えます。

2時間という時間の制約のなかでは、浅見と神永との関係の築きは初対面、作戦同行を経て、神永の個人行動への不満、それを持つなかでの神永救出の決行とかなり盛り沢山です。そして浅見が神永をウルトラマンであることを知り、理解するなかで「浅見の神永への信頼」という形に昇華するのが最初に見るとやや唐突に見えがちですが、シン・ゴジラを何度も見返していくなかで、矢口とカヨコとが信頼関係を築いていく姿は今見るとよく表現されていると思います。ですからシン・ウルトラマンも何度も見返すことで浅見と信頼関係の築きが見えてきて心地よく思えるのではないでしょうか?

庵野さんは何しろ妥協を許さない方だと思いますし、だからこそ作品が詰め込み過ぎだったり、説明不足に思いがちですが、見返してみると色々と伏線が見えてくるのではないでしょうか。

浅見が自分を鼓舞するために自分の尻を叩くシーンが何度もあり、「表現が古い」「セクハラだ」「親父臭い」と巷では言われていますが、彼女は船縁や神永の尻も叩きます。これは浅見が他人を受け入れた際の愛情表現ではないかと思います。これも後で見返してみると浅見が信頼を深めていく過程が段階的に表現されているのではと言えます。そのためにも何度も見返すでしょう。何年も待ったなかでのシン・エヴァンゲリオン劇場版Qは一見すると何か不満に思えて、シンジか落胆している姿が視聴者にはキツイ印象も感じます。ですが、それを描いたからこそのシン・エヴァンゲリオン劇場版に繋がったのではないか。もう一回、場面の進行だけで振り回されるのではなく、きちんと場面を吟味しながら鑑賞したいですね。

神殺しのAAAヴンダー シン・ウルトラマンの感想について

ミサトが艦長を務めていたのは加持が命をかけてNERV=ゲンドウから奪取したAAAヴンダーでした。これはもはや神化したゲンドウが行うアディショナルインパクトを防ぐ、いわば神殺しの船です。このようにゲンドウを神化した存在に描くことで、彼が自分の望みのためには人間の存在など気にも止めない。むしろ無に返すことで全てをやり直すことに実行しようとする姿を描いています。このように神なる存在にとっては人間の存在など取るに足らないものではないか。

これは人間が兵器として転用される危険があることを理解した光の国=ゾーフィが下す結論に近いと言えます。大義のためには人間をむにかえすことも厭わないわけです。またリピア=ウルトラマンも本来ならゾーフィと同じ考えを持つ存在であったと言えます。人間よりもむしろメフィラスのほうが親しい存在だったのではないでしょうか。神永の亡骸を前にウルトラマン=リピアは何もしません。ここはまだ彼が人間というものを十分に理解しきれていなかった描写ではないかと思います。

実の父親であるゲンドウは、フォースインパクトのトリガーとすべくエヴァンゲリオン13号機に子供であるシンジを搭乗させます。やがて神化したエヴァンゲリオン13号機はガフの扉を開きますが、アスカたちによってそれを阻止されます。シンジは父親と対峙するために再びエヴァンゲリオン初号機に搭乗しますが、彼は他人の存在を受け入れてエヴァがない世界を望み、それを実現していきます。ゲンドウも既に人なる存在から脱し神化しているなかで、シンジが下した決断を受け入れていきます。このようにエヴァンゲリオンは神殺しの物語であり、AAAヴンダーはその一役を担う存在となるわけです。

ここでシン・ゴジラが英語名ではGODZILLAであることを見るとやはりGODの表記があります。それはカヨコ・パターソンの台詞でも語られています。神=ゴジラという図式です。それに人間がいかに立ち向かうかという物語となっています。

そう考えると、シン・ウルトラマンも神=ウルトラマンでしょう。神永という名前からも想像できます。これは神化したゲンドウ、神化したエヴァンゲリオン初号機に搭乗したシンジが人間を取り戻すために神から人へと戻るように、ウルトラマンも人間=神永になって人間のために生きることを選択していく過程に似たものがあります。

ネタバレにはなりますが、ゾーフィは天体制圧用最終兵器ゼットンを放ち、人間を滅亡させようとします。ゼットンはいわば神そのものです。それに対して挑むウルトラマン=神永はいわば神殺しであるAAAヴンダーとも言えます。

以上のことからシン・ウルトラマンは神・ウルトラマンであり、そこから人間として生きていくことを選んでいくことが描かれているわけで、神・ゴジラを倒した(凍結させた)のもやはり人間であったことから、庵野さんは「人間が人間として生きていく姿を描いている」と言えます。

次回作はシン・仮面ライダーですが、ショッカーと仮面ライダーとの痛快な戦闘シーンだけ終わるのではなく、ショッカーとの戦いを通じて望まなくして神の力を得てしまった男の苦悩と、人間へと戻っていく姿がメインに描かれるのではないでしょうか?